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アフレコスタジオに、なぜか可憐な女子高生が数十人も……!?
── 「銀河烈風バクシンガー」(1982年)では、オーディオディレクターとなっていますが? 四辻 最初の何話かで絵コンテを切ってますし、名前を出していないだけで演出もしています。ただ、ほかの作品が忙しくなってしまったので、知っている演出さんに任せて、ダビングに顔を見せる程度でした。ところが、山本優さんが音響監督さんとアフレコで意見が合わなくなってしまったそうです。「お前、明日から音響監督やってくれないか」と頼まれてしまって。J9シリーズをまったく知らない音響監督さんを連れてくるよりは、よく知っている僕に頼んだほうがいいという判断でしょうね。
── 「銀河疾風サスライガー」(1983年)では、チーフディレクターと録音ディレクターを兼任するようになりますね。 四辻 「ブライガー」から「バクシンガー」にかけての時期、「J9コンサート」というイベントを開催したんです。誰も来ないだろうと思っていたら、超満員になってしまって。来てくれたファンの子に「3本目もぜひお願いします」と言われて、やる気になったんです。
── 音楽といえば、四辻さんは作詞も手がけられていますよね? J9シリーズでも「おちゃめ神物語コロコロポロン」(1982年)でも……。 四辻 作詞といっても、山本正之さんのつくったBGMに詞をつけただけなんです。レコード会社から、「どうすればサントラ盤が売れますかね?」と相談された結果です。だから、冗談みたいな詞ばかりなんです。J9シリーズのサントラ盤が多いのは、BGMをどんどん録り足しているからです。サントラに入ってない曲は、僕らが現場でつくっていました。
── 現場で? ダビングのときに作曲していたんですか? 四辻 そう、ない音楽はその場でつくっていました。スタジオの若い子は、けっこう楽器ができましたからアドリブで。「ブライガー」で、主人公がブルースの中古レコードを探すエピソードがあるんです(第26話「もいちどブルース」)。だけど、ブルースの曲なんて録ってないわけです。だったら、その場で新たに録音するしかない。「ブルースのコードを適当に弾いてくれれば、俺がハーモニカでそれらしく足すから」と、僕が自分でブルースハーモニカを吹きました。その曲をアナログ盤らしい割れた音に加工したりして。「サスライガー」のアイキャッチのハーモニカも、僕が即興で吹きました。
── ダビング現場で「そんなの無茶だ、やめよう」という話にはならなかったんですか? 四辻 「バクシンガー」の音響効果の佐藤(一俊)さんは、「こんな音いらない」とか言うんです。みんな生意気なので、ケンカになるんですけど(笑)。「逆にSEを抜いて、無音にしようぜ」「音楽が流れる前に、8秒ぐらい間を入れてさ……そこで音楽が始まったほうが、絶対にカッコいいよ」なんて話すんですけど、今度は絵が音の尺と合いませんよね。だから、ダビングしているスタジオで、僕がフィルムを切って編集していました。
── カッとんだ現場ですよね。山本優さんは、何も言わなかったんですか? 四辻 J9シリーズの「ブライガー」と「サスライガー」は、四辻ワールドなんです。「バクシンガー」と「魔境伝説アクロバンチ」(1982年)は、山本優ワールドですね。特に「アクロバンチ」は優さんの書いたシナリオを変えないように、なるべく口を出さないようにしました。だから「アクロバンチ」ではペンネームにして、四辻ワールドにならないように気をつけています。山本優さんは先輩ですから、立てるところは立ててあげたかった。優さんが死んでしまったから、こんなことが言えるのかもしれませんけど……。
── 山本優さんは、どんな人でしたか? 四辻 一昨年に亡くなって、“山本優を偲ぶ会”を僕が開きました。「無頼に生まれ、無頼に生きて、無頼に死んだ」と答辞を述べたのですが、そういう男でした。普通の生活ができないぐらい、自分の作品に入り込んでしまう人でした。一種の天才ですね。J9シリーズは山本優という天才、山本正之という天才がうまい具合に力を与えてくれた作品です。もし僕まで天才だったら、2人とぶつかっていたところです。国際映画社は新しい会社だったし、プロデューサーの壺田(重夫)さんがスポンサーや代理店をうまくさばいてくれたから、僕たちが好き勝手をやれたんです。
── J9シリーズはいまだに人気が高いのですが、当時のファンの反響はどうでしたか? 四辻 そりゃあ、すごかったですよ。驚きました。「ブライガー」を始めたとき、ちょうど息子がいたので、「この作品はヒットはしないだろうし、うちの息子が喜んでくれればいいかな」程度に思っていました。ところが、「ブライガー」の2~3話目のアフレコのとき、女子高生が3人ぐらいスタジオに来たんです。「すみません、ファンクラブをつくってもいいですか?」「そりゃあうれしいけど、君たちのためにつくっているアニメじゃないよ。うちの息子みたいな男の子のためのアニメだから」。でも、そのまま帰らせるのはかわいそうなので、アフレコ見学をさせてあげたんです。そのせいなのか、翌週は女子高生が30人ぐらい来てしまって。「多すぎるけど、後ろのほうで見学していいよ。その代わり、これであきらめてね」と言ったら、翌週には50~60人も来てしまって。さすがにご近所さんから苦情が出たし、もうスタジオには入れてあげられませんでしたけど……。可憐な女子高生ばかりですよ。
── やはり、男性キャラクターたちがカッコよかったからではありませんか? 四辻 うーん、わかりません(笑)。女の子に受けるような要素は、まったくないと思うんだけど……。でも、いまだにファンの人が連絡をくれるのは、ありがたいことですよ。
── 「機動戦士ガンダム」(1979年)の大ヒットで、アニメファンが激増した時期ですからね。 四辻 制作現場のキャパを越えるぐらい、作品の数が増えてしまったんです。だから、制作スケジュールはタイトでしたよ。金田伊功さんに「ブライガー」と「アクロバンチ」のオープニングを描いてもらっていましたが、彼はとにかく手が遅いんです。でも、必ずカッコよく仕上げてくれるから、本編と絵が違っても気にせずに……好きなようにつくっていました。 仕事で遊んで、遊びで遊んで。スタッフで野球チームをつくったり、夏は釣りに行って、冬は温泉へマージャンをしに行ったり……遊んでいる間は、誰ひとり仕事の話なんかしません。いい時代でしたよ。同じ時代、ほかの監督さんは真面目にアニメをつくっていたかもしれないけど、僕はそんな感じでした。やりたいことをやったから、もうアニメに未練はないんです(笑)。だけど、僕みたいな監督に力を貸してくださったスタッフや仲間たちに感謝感謝です、永遠に。
(取材・文/廣田恵介)