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子どもには子どもだけのテリトリーがあり、空間と気持ちは一体化している
── 「ペンギン・ハイウェイ」では、特にバス停の終点が印象的でした。車道がぐるっと円を描いていて、背後に山が迫っていて。 石田 「ペンギン~」に出てきたバス停は、あのままの場所が家の近くにあったわけではありません。だけど、子どもの活動できるテリトリーって、せいぜい自分の住んでいる町が精一杯だと思うんです。実際に目に見えるわけではないんだけど、子どもの目線では、そこから先へ進めない境界線というかバリアーがある。だから、ひとたび自分の町の外へ出ると不安になって浮き足立つような……そういう感覚は、「ペンギン・ハイウェイ」をつくったときには、はっきりと意識していました。境界線を越えるあたりの建物や風景は寂しくて、近づくのが恐れ多いような気もする。つまり、子どものころに住んでいた空間というのは、気持ちと一体になっていると思うのです。
── 石田監督の作品は子どもが主人公ですが、子どもを意識してつくってらっしゃるのですか? 石田 もちろん、子どもにも見てほしいと思っています。僕の甥っ子や姪っ子は小学生ですから、いずれは彼らにも見てもらうことを意識はしています。でも、だからといって子ども向けなのか、具体的に誰に見せたくてつくっているのかは、まだ自分の中でも答えが出ていません。「どうして、いつも小学生が主人公なんですか?」と、よく質問されます。素直に答えると、その年ごろがいちばん楽しかったからです。だけど、妻と子ども時代の話をすると、妻は「そのとき、そこに犬がいて」「その後、こんなことを話して」と細かく覚えているのに、僕は具体的な出来事はほとんど覚えていません。記憶が溶けあっているような感じなんです。
── でも、今回の「雨を告げる漂流団地」にはオバケの出てきそうな古い団地に忍び込んだり、子ども時代に体験していそうなシーンが散りばめられていますよね? 石田 確かに、僕も肝だめしやキャンプなど人並みに楽しんだ経験はあるのですが、なんとなくふわっとしか記憶していません。だけど、その印象だけでも、作品をつくる原動力としては十分なんです。
── 「雨を告げる漂流団地」は、石田監督にとっては初のオリジナル長編アニメですね。原作のある「ペンギン・ハイウェイ」とは、どこが違いましたか? 石田 もちろん準備の仕方は違いますが、子ども時代の原体験を描くという意味では、両者ともそんなに変わりません。つまり、変化せざるを得ない状況に直面したとき、その現実を子どもたちがどう飲みこんで、どうやって先へ進むのか。それは共通しているんです。何を大事に思っていて、どう向き合っていて、それを失ったらどんな気持ちになるのか? その大事に思っている対象は人それぞれであって、ほかのものとは代えがきかないと思うんです。「ペンギン~」で言うと、アオヤマ君という少年が年上のお姉さん――(「銀河鉄道999」の)メーテルみたいな存在かもしれませんが、そのお姉さんへの気持ちにどう折り合いをつけるのかが、ベースになっていました。実際にご本人から聞いたわけではないのですが……それは(原作者の)森見登美彦さんの気持ち、何かしらの痛みの中から出てきた、まさに代えのきかないテーマだと思うんです。そんな大変なテーマをいただいたところから「ペンギン~」はスタートしたわけですが、今回の「漂流団地」は、まず根っこから自分で探さないといけない。テーマと言いますか、単純に描きたいものと言いますか……それを見つけ出すのが、大変な作業でした。