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韓国ドラマとAKB48を意識しつつ、オタクに媚びないキャラ作りを。
『G-レコ』のコンセプトが固まってきた頃、たまたま『
戦争の世界史』という、この千年の経済と戦争をキチッと解説した本を読んでいました。作者の目線が戦争史家ではなく、経済史家に近いんです。その作者から見ると、この千年のほうが人類史全体から見れば異常な変革期であった。だから千年以前の歴史に戻すべきである、と書いています。
「これ以上、科学技術を進歩させてはいけない」という『G-レコ』のコンセプトと同じ論調で、急速な進歩ではなく静かに、穏やかに暮らしていく人類史になるであろう……と書かれているんです。この千年が異常だったのだと理解できれば、常態に戻すのは、それほど驚くべきことではないし、自分の考えていたことは絵空事ではないとわかりました。『G-レコ』は年寄りのたわ言にはならないだろう、という確信が持てたんです。
結局、地球温暖化やエネルギー問題、食糧問題などのリアルな各論の話をしても、角が立つだけなんですよ。角が立たないように認識論を広めるために、アニメというのはとてもすぐれた媒体だと改めて思いました。
――『リーンの翼』のとき、富野監督はエイサップ・鈴木を「ニート」と設定していました。他作品でも、時代を先取りした主人公が多かったのですが、『G-レコ』のベルリ・ゼナムはどんなキャラクターでしょう?
ベルリは時代の先を行くような主人公ではなく、エンターテインメントを成立させるためのキャラクターです。現実が逼塞(ひっそく)状態に陥っているから、時代の先を行くリアリズムのキャラクターでは、見るのが辛いだろうと思ったからです。
もうひとつ、重要なことがあります。ちょっと生真面目な映画やテレビドラマを見ると、まさしくニートもそうだし、犯罪者にしても異常者だとか薬物中毒だとか、閉塞感を象徴するキャラクターばかりになっています。「今さら、同じことをアニメでやってはいけない」と心がけました。
エンターテインメントとして楽しんでもらいながら問題意識をばらまくには、子どもたちにとって見やすいキャラクターにする必要があります。それで、ベルリとアイーダ(・スルガン)のお話にしました。では、ベルリとアイーダの話にしたら底抜けに明るくなるのかと言ったら、「だけど人の暮らしって、そう簡単にはいかないだろう」とも思うので、韓国ドラマ的エンターテインメントからアイデアを全部いただく、ということをしています。ベルリとアイーダが実は姉弟だという設定も、記憶喪失の少女(ラライヤ・マンディ)を配置したのも、ぜんぶ韓国ドラマからアイデアをいただいてきました。文句あるか、こっちはアニメだぞって(笑)。
エンターテインメントの中に問題提起の材料をうまく並べられたという確信があるので、「子どものときは騙されて見ていたけど、なんであんな構造になっていたんだろう?」と20代・30代になってから気がついてくれる子どもたちが出てくれば、こっちのものですね。
――あえて、通俗的なキャラクター配置にしたわけですね? アニメのドラマとして楽しく見てもらえると同時に、記憶に残るキャラクターを作れなければ意味がないとも思います。『機動戦士ガンダム』のキャラクターたちは、ファンに共有してもらえました。そのキャラクターの系譜は活用可能なギミックのはずですから、それを意識してキャラクターたちを描いています。だから、いやらしい部分もあるんだけれど、それをぬけぬけと僕がやれるとしたら、アニメ作家として悪い仕事ではなかろうと思います。今のオタクやティーンエイジャーに媚びるようなキャラクターが残るかというと、きっと残らないでしょうね。
――キャラクターに関してもエンタメの原点に戻るというか、『レコンギスタ』なわけですね。
それもありますし、いちばん意識したのはAKB48の支持のされ方や韓国ドラマのあり方です。つまり、「卑俗さの何が悪い?」と、正面切って取り込む努力をしました。ただ、“取り込む”というのはAKBに寄せるという意味ではありません。カウンターとして打ち出すにしても、こちらはAKBより後なわけですから、もうちょっと上品にいきたい。
それがラライヤやノレド(・ナグ)、マニィ(・アンバサダ)であり、彼女たちの周辺にいる女たち、男たち。リアルっぽく見せてるんだけど、実はちっともリアルではなく、すべてがギミックとして作動している……そのはずなんだよね(笑)。
――それで女性キャラがやけに多くて、華やかなんですね?そういうことです。だけど、『機動戦士ガンダム』ほど深刻ではない。
――そこまで考えたなら、何としてでもウケてもらわないと(笑)。もちろん、ウケてほしい。第2話のアフレコを終えたけれど、かなり面白い。自信がある。名作ではないけど傑作。ただ、今の子どもたちがどういう視線でアニメを見ているかわからないから、そこだけちょっと困ってるんです。
――ガンダム世代のお父さんたちが、責任もって子どもたちに見せてあげてほしいですね。楽しみにしています。(取材・文/廣田恵介)
■あらすじ
宇宙移民と宇宙戦争の歴史となった宇宙世紀が終焉後、しばらくの刻が流れた。
新たな時代、リギルド・センチュリー(R.C.)を迎えた人類の営みと繁栄は、平和と共にこのまま続いて行くものだと思われていた。
R.C.1014年。
地上からそびえ立つ地球と宇宙を繋ぐ宇宙エレベーター、キャピタル・タワー。
地球上のエネルギー源であるフォトン・バッテリーを宇宙よりもたらすが故に神聖視された場所である。
そのキャピタル・タワーを守護すべく組織されたキャピタル・ガード候補生のベルリ・ゼナムは、初めての実習の最中、いずれの国の技術でもない高性能モビルスーツ、G-セルフの襲撃を受ける。
作業用モビルスーツのレクテンで交戦したベルリはG-セルフの鹵獲(ろかく)に成功する。
しかし、G-セルフを操縦していたアイーダ・スルガンを名乗る宇宙海賊の少女に何かを感じるベルリ。
それは見たこともないはずのG-セルフに対しても同じだった。
そして、特定条件を満たさなければ動かないはずのG-セルフをベルリは何故か起動させてしまう。
キャピタル・タワーを襲撃する宇宙海賊とアイーダの目的、G-セルフに選ばれたベルリが辿る運命、その果てに待ち受けるリギルド・センチュリー全体を揺るがす真相。
全てはレコンギスタの始まりに過ぎなかったのだ。