「作画監督」と「アクション作画監督」の違い
─作画監督の際に気をつけていることは?
堀内 本来は、「第二原画」と呼ばれる原画の清書が上がってからやるのが作監の作業なんですが、今は時間がないのでレイアウトの段階でカッチリ作監を入れて、原画さんに清書してもらって、そのまま動画に行くのが常態化しています。作監は動きや表情を見ますが、総作監の時は顔だけに特化して直しています。たとえば、レイアウトで10枚くらいの原画のラフがあったら、そのうち2枚程度の肝になりそうなところ、せりふを長くしゃべるところとか、長く映るようなところとかを作監が直して、それをもとに原画さんが間の画を似せて描いています。
─堀内さんは、「アクション作画監督」としてクレジットされることもあります。「作画監督」とはどう違うのでしょうか?
堀内 作品によっても制作会社によっても、意味合いが多少違っているかもしれないですけど、「アクション作画監督」というのは、どちらかというと動きが内容に合っているかをチェックしています。たとえば、「走っている」にしても、「元気に走らせたい」のに「普通に走っている」場合は直しますし、「投げる」や「蹴る」というアクションも、ものによってはカッコよく描けているかとかを確認して、ポージングを直しています。だから、「アクション作画監督」の場合は、全体のバランスや体の動きを主に見ていて、自分の場合、表情はあまり見ていません。
─「天地無用! in LOVE」は、おひとりで総作画監督をされています。これは顔の修正をされていたということですか? 1時間半にもわたる劇場アニメを、キャラクターデザイナーがひとりで総作監するというのは、最近はあまり見かけないですね。
堀内 体つきとかバランスも悪ければ直すんですけど、基本的には顔がちゃんと描けているかどうかを見ていました。本来総作監というのは、ひとりで十分なハズですよ。
筆絵とアフレコ台本のこだわり
─そのほかにお仕事のこだわりはありますか? 「しにがみのバラッド。」や「神曲奏界ポリフォニカ」のアイキャッチは筆ペンで描かれていて、堀内さんのサインも入っていましたね。
堀内 この時のアイキャッチは決まっていなくて、何か入れたいという話だったので、「だったら、自分が描いてもいいですか?」と言って描かせてもらいました。その時に、何を使って描いてもいいということだったので、筆ペンで描いて、色もつけて、「キャラデ担当の堀内が描いています」といった意味で、サインも書かせていただきました。
ちなみに、自分がキャラデをやった作品に関しては、アフレコ台本の表紙絵も毎回、自分が描いているんですよ。声優さんに少しでも作品に思い入れを持ってもらえればうれしいなと思って。普通、アフレコ台本の表紙って、ずーっと同じ絵が続いて変わらないんです。でも、サブで1話だけ入る声優さんにとっては、自分のキャラが表紙になっていると思い入れが違うだろうし、メインキャストの人にも毎回絵が違うと、「次は何だろう?」って楽しんでいただけるんじゃないかなと思うんですよね。取っておいてもらえているか全然わからないですけど、アフレコをしている時にニコッとしてもらえたらいいなと思って、自分がキャラデをしたものに関しては描かせてもらっています。
─「クロスアンジュ 天使と竜の輪舞」(2014~15)では、エンドカードを全話数描かれています。これはどういったご経緯で?
堀内 エンドカードは「弱虫ペダル」4期(2018)後半でも描いていまして、「弱虫ペダル」の時は、どのキャラクターを使うかはプロデューサーが決めていました。でも「クロスアンジュ」の時は、自分から「毎話数、エンドカードやったらおもしろいんじゃないですか?」と提案して、描かせてもらいました。
─こちらも筆絵ですね。表情からポージングまでキャラクターの個性や特徴が存分に引き出されていて、お見事としか言いようがありません。キャラデ修正は一切入っていない、いきなりの清書ですよね?
堀内 直しようがない1発ですね(笑)。よく見ると、線が太くなったり細くなったりしていますが、実はどうしようかなって迷いながら描いているんですよ。ほかにも筆を使う方が何人もいらっしゃいますけど、勢いがあったありとか、1発でワッと描く人が割りと多いんですよね。自分みたいにじっくりにゅ~っと描いている人はあんまりいないので、そこはほかに類を見ないのでいいかなと思っています。
制作進行出身者の初演出作品に参加する理由
─ジャンルも作風も関係なく描くとのことでしたが、作品参加はすべてスケジュール次第ということでしょうか? 監督や制作会社で決めることもありますか? 「名探偵コナン」(1996~)や「弱虫ペダル」(2013~18)など、トムス・エンタテインメントのお仕事が多い印象がありますが。
堀内 オファーがあればやる、というスタンスなので、自分から選ぶことはほぼないですね。よくやり取りをしている会社から仕事の話が来るので、結果的にトムスが多くなっています。
─「女子高生の無駄づかい」(2019)は、おもしろいお仕事の受け方をされていますね。「すごい」パートアニメーションの原画のみをされていて、第4話と第6話以外は、おひとりで描かれています。毛の生えた粘土の心臓が窓ガラスに張りついたり、足元からのハイアングルでヲタがベッドでゴロゴロしたり、広角レンズで電車の座席が歪んで見えたり、カットをまたいでロボが顔の向きを変えたり……。話数ごとに違ったアニメーションを楽しませていただきました。
堀内 「すごい」パートというのは、オープニング前のアバンのことです。実は、ここの演出をやっていた北村充基さんが、武右ェ門で「風の又三郎」の制作をやっていた人なんですよ。これは自分のポリシーのひとつなんですが、一緒にやっていた制作さんが演出を目指している場合には、「覚えていたら、最初にやるタイトルで連絡をください。自分でよければ参加するので」と言うことにしているんです。最初の演出作品はいろいろ慣れないこともあるだろうし、どんな作画さんが来るかもわからないので、せめて安心してやってもらえるようにと思って、そうしているんです。
「女子高生の無駄づかい」は、最初は1本だけやるつもりだったんですけど、12本毎話数、北村さんがやると言うので、ちょっとだけ悩んだんですけど、「約束は約束だからやるよ!」と引き受けました。毛色としては「自分がやっていいの?」というぐらいのタイトルでしたが、おもしろくやらせてもらいました。
─原画、作画監督、キャラクターデザイン、参加の優先順位をつけるとしたら?
堀内 自分は絵が描きたくてやっているので、いっぱい描けたほうがいいじゃないですか。デザインって、デザインをやるためにすごい時間がかかるんですよ。顔ばっかり一生懸命描いていたり、表情をいろいろ作ったり。それよりも原画を描いていたほうがいっぱい絵が描けるので、「どれを取る?」と聞かれたら、普通に原画を取るかな。
趣味のロードバイクと「弱虫ペダル」
─余暇の過ごし方について。堀内さんのHPによれば、自転車、ガラス工芸、針金細工がお好きとのこと。堀内さんは「弱虫ペダル」にも参加されていますが、ひょっとして堀内さんのお好きな「自転車」とは、「ロードバイク」のことですか?
堀内 そうです。
─「弱虫ペダル」への参加は、堀内さんがロードバイク好きということもあったのでしょうか? 「弱虫ペダル」は1期からメインアニメーターで参加されていて、第3~4期では、「ライドデザイン」としてもクレジットされています。
堀内 プロデューサーの竹村逸平さんが自分のロード好きを知っていて、「こういう作品やるんですけど、どうですか?」と誘ってもらいました。自転車に関しては監修もしてくれって言われて、うれしかったですね。
─ガラス工芸と針金細工も長いのでしょうか?
堀内 実はガラス工芸は今やっているということではなくて、うちのカミさんがやっていて、これからやりたいことのひとつなんですよ。針金細工に関しては、中学校の頃から遊びでやっています。1年に2回ビッグサイトでやっている、デザインフェスタにも1度出たことがあります。今でも作画机の横に針金と道具を置いて空き時間にでもやろうと思っているんですが、なかなか時間がなくて……(苦笑)。
アニメの通信講座を受けて業界入り
─キャリアについて、改めてうかがいます。青森県のご出身で色覚多様性をお持ちで、絵の仕事をするにはアニメーターしかなかったとのことですが、業界に入る前は、平村文男さんの通信講座を受けておられたそうですね。
堀内 平村さんはもともと漫画家で、中日新聞で4コマ漫画を描いていた方です。それから東京に出てきて東映動画に入って、「少年忍者風のフジ丸」(1964~65)の動画を大塚康生さんの横でやっていたらしいです。その後、独立してスタジオぽっけを設立して、並行して通信講座も始めたそうです。その第1期生の募集を自分が「Animec(アニメック)」という雑誌で読んで応募した、というわけです。
─平村さんとの間に師弟関係はありますか?
堀内 師弟関係という感じでは受け取っていないんですが、動画のことをいちから教えてもらったということを考えれば、平村さんは先生みたいな感じですね。
─堀内さんが上京された時期はバブル景気の少し前になりますが、キャリア初期のご生活は大変でしたか?
堀内 自分は運がよかったんだと思うんですけど、高校の頃の後輩のお姉さんの旦那さんが、足立区で焼き鳥屋をやっていたんですよ。高校3年の夏に東京に遊びに行って、そこに泊めさせてもらって、「もしかしたら来年、東京に来るかもしれない」といった話をしたら、その焼き鳥屋の人が「部屋が空いてるから、来なよ」と言ってくれて、エアコンとテレビ付きの12畳の部屋を、月1万円で貸してくれたんです。動画をやりながらそこに1年半暮らしていたので、貯金ができたんですよね。だから、楽しかった思い出のほうが強いです。
─動画は7年経験されていますね。
堀内 アニメーターになって最初にやった動画は「鉄腕アトム」(1980~81)なんですが、やった作品は劇場版が多いし、うまい人の原画を直で見ることができたのもよかったですね。経験を積むには十分過ぎるくらい、いろんなことをやらせてもらいました。
─スタジオぽっけ解散後はAICの社員になられたそうですが、どういったご経緯なのでしょうか?
堀内 ぽっけがAICに吸収合併という形になったんですけど、その時、作画室長に就任した平村さんにAICに入る条件として「原画をやりたい」と伝えたら、「スタジオジブリに出向して、原画をやってこい」と言われました。それで、「火垂るの墓」(1988)の原画を6カットぐらいやったんですが、あんまりうまくなくて、動画に回されたんです。そしたら、AICから「原画で出したのに、なんでお前、動画やってるんだ! だったらすぐ戻ってこい!」と言われて、「火垂るの墓」を最後までやれずに、AICに戻りました。
─「火垂るの墓」と同時期に、「AKIRA」(1988)の原画を描かれていますね。「AKIRA」の制作会社はAICでもジブリでもなく、東京ムービー新社、つまりトムス・エンタテインメントの前身企業ですが、これはどういうご事情でしょうか?
堀内 フリーになったんです。社員生活は1年もやっていません。AICに戻って1か月もしないうちに、「AKIRA」をやっていた仲盛文さんから、「『AKIRA』やるなら、話つけとくよ」と言ってもらったんです。最初は半分冗談だと思っていたんですが、数日後にデスクから連絡が来て、ポートフォリオを見せたらやらせてもらえることになったので、「AKIRA」をやるためにAICを辞めて、フリーになりました。
─「AKIRA」の大友克洋監督とは長いお付き合いをされていますね。「スチームボーイ」(2004)やオムニバス映画「SHORT PEACE」の「火要鎮」(2013)でもご一緒されています。
堀内 そうですね。大友監督は今、自分が入っているサンライズのスタジオで、「ORBITAL ERA」(時期未定)を作っています。