「雲のむこう、約束の場所」――“垂直”と“水平”が織りなす新海誠のユートピア【懐かしアニメ回顧録第57回】
新海誠監督の新作「天気の子」が公開中だ。「雲のむこう、約束の場所」(2004年)は、新海監督の商業デビュー2作目に当たる。
設定も展開もやや難解だが、ざっとストーリーを整理してみよう。舞台は我々の住む世界とは少し異なる平行世界で、北海道は旧ソ連を思わせる巨大国家「ユニオン」によって統治され、「エゾ」と呼ばれている。主人公の藤沢浩紀は、国境に近い青森県の田舎に暮らす中学生。彼はクラスメイトの沢渡佐由理に憧れながら、親友の白川拓也と2人で、ひそかに飛行機を組み立てていた。エゾの地にユニオンが建設した、謎の塔まで飛行するためだ。
拓也がうっかり話してしまったことから、浩紀と拓也の飛行機は、佐由理にも存在が知れてしまう。秘密を共有した3人は、飛行機を組み立てながら、楽しい時間を過ごす。しかし、佐由理は目覚めずに眠りつづける不思議な病にかかってしまい、浩紀は飛行機づくりを投げ出し、東京の高校へ進学する。拓也は塔にまつわる研究機関に勤務し、眠りつづける佐由理と塔との間に深い関係があることを知る。
ストーリーの後半、浩紀は故郷に戻り、佐由理を目覚めさせるために飛行機で塔を目指す。
91分の上映時間のうち、田舎の中学生だった3人が楽しく過ごすのは前半の30分ほどだ。残りの1時間、いつもの新海作品のように、主人公とヒロインは惹かれあいながらも不条理な理由で分断されている。前半30分だけが、箱庭的な理想郷として、美しい秩序を保っているのだ。
では、その小さなユートピアの秩序は、いかにして保たれているのだろう? ヒントは、浩紀が見上げるユニオンの塔、そして通学電車。塔は垂直方向に伸び、電車は水平方向に走る。
「詩は歴史に対して垂直に立つ」
「いつだって、僕はあの塔を見上げていた。僕にとって、とても大切なものが、あの場所には待っている気がした。とにかく、気持ちが焦がれた」と、冒頭近くで浩紀は語る。
そのモノローグが流れている間、海沿いを2両編成の電車が画面を横切る。カメラが上方向へPANすると、雲をつらぬく塔が夕陽の中にそびえている。
中島らも・いしいしんじの対談集「その辺の問題」に、稲垣足穂の「詩は歴史に対して垂直に立つ」という言葉が紹介されている。ユニオンの塔は、浩紀たちの過ごす時間に対して垂直に立っている。映画後半、塔は佐由理の夢とリンクしながら彼女を眠らせるので、登場人物たちの“時間”を垂直方向から分断する超越的な存在だと言えるだろう。
では、浩紀たちの使う単線の通学電車はどうだろう?
浩紀がホームの向こうに佐由理の姿を認めると、画面に電車が入ってきて、2人の間に距離をつくる。あるいは、部活で遅くなった浩紀と佐由理が同じ電車に乗り合わせ、車内に並んで立ったまま、親しく会話をかわす。佐由理が拓也に夢の話をするシーンでも、やはり電車のボックス席が重要な告白の場となる。
つまり、電車は登場人物たちに空間を提供する。水平に走る電車によって、彼らの暮らすフィールドが形成され、同時に行動範囲を規定していく。電車によって水平に広がる空間は、小さいけれど秩序の保たれたユートピアだ。
水平に広がる空間から、垂直に立つ塔を破壊する
前述したように、浩紀、拓也、佐由理は物語の後半でバラバラになってしまう。同時に、電車は画面にほとんど登場しなくなる。
だが、浩紀が佐由理を目覚めさせるため故郷へ戻ってからは、彼が中学時代に使っていた単線・2両編成の電車が再び登場する。小さな電車が、海沿いの踏み切りを通過する。この踏み切りの絵は、前半で佐由理が初めて飛行機を見に来るシーンと、実はまったく同じ構図だ。
浩紀はかつて佐由理と過ごした空間、あの小さなユートピアを取りもどしつつある――。そのことは、構図を見れば明らかだ。
そして、拓也は眠ったままの佐由理を、飛行機のある廃駅に連れてくる。彼らの飛行機は、廃線となった線路のうえに備えつけられており、離陸時には線路の上を滑走する仕組みだ。
浩紀と佐由理が飛行機で目指すのは、彼らの暮らしと相容れない、垂直に立った塔である。水平に飛び立って、垂直を目指す。さらには、垂直に立った塔を破壊する。これらの儀式的なプロセスを経て、ようやく目覚めた佐由理と浩紀との本当の時間が動き出す。垂直に立つ塔はいわば、登場人物たちの時間を停止させるために打ち込まれたクサビだったのである。
新海作品は情感的でムードに流されがちではあるが、シンボリックで図像的な構図が、骨組みのように物語に組み込まれている場合がある。そこに着目すれば、また新しい価値が見つかることだろう。
(文/廣田恵介)
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