【懐かしアニメ回顧録第34回】サイレントとトーキー、ふたつの文法が交錯する「ラーゼフォン 多元変奏曲」の悲劇的プロット
今月2017年9月16日から、劇場用アニメ「交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」が公開される。時系列を追った総集編ではなく、テレビの映像を独自のセンスでミクスチャーしたスタイルは、京田知己監督ならではだろう。
さて、その京田監督のデビュー作が「ラーゼフォン 多元変奏曲」(2003年)である。テレビアニメ「ラーゼフォン」26本を、120分の劇場アニメとして構成しているが、設定は複雑で、展開は難解である。ひと言で「このようなストーリーである」と説明することは難しい。しかし、ひと言で説明できないことは欠点ではない。
なぜなら、映像作品を見る目的は「世界観や物語を理解すること」ではないからだ。
耳で聞けないセリフを、文字によって把握する
「ラーゼフォン 多元変奏曲」は、首都圏が球形の空間“TOKYO JUPITER(トウキョウジュピター)”によって隔離されてしまうカタストロフによって幕を開ける。TOKYO JUPITERの内部では、外部とは異なる時間の中で、人々が平和に暮らしつづけている。
だが、外部の世界では“ムーリアン”と呼ばれる青い血をもった異次元の種族と人類との攻防が続いていた。主人公の神名綾人は、巨大ロボット“ラーゼフォン”に乗り込んで、ムーリアン側のロボットを撃退する。
神名はムーリアンの策略によって、一度は抜け出したはずのTOKYO JUPITERの内部へ、引き戻されてしまう。その世界では、神名に想いを寄せる朝比奈浩子が普通の高校生として暮らしていた。
ところが、朝比奈は実はムーリアンであり、自分に青い血が流れていることを神名に言い出せないでいる。ラーゼフォンに乗り込んだ神名は、朝比奈を守るためにムーリアンのロボットを倒すが、実は敵ロボットは朝比奈の分身のような存在であり、神名は間接的に朝比奈を殺してしまう。
この悲劇的なシーケンスは、まだ戦いの起きる前、神名と朝比奈が連れだって夕食に出かける夜のシーンから始まる。
壁には、各国の国旗がペイントされており、歩道には「助けてください」「困っています」「おはよう」「さよなら」「元気ですか?」「こんばんは」などコミュニケーションの言語と、その各国語訳が刻み込まれている。万国博やオリンピックの跡地を思わせる、祝祭的でありながら寂しいムードの漂う場所だ。
先に立って歩く神名に、朝比奈は「神名くん、あのね、私ね、聞いてほしいことがあって」「私ね……」と言いよどむ。
その瞬間、車道をトラックが通過し、朝比奈のセリフはかき消される。代わりにインサートされるのが、歩道に刻まれた「元気ですか?」「困っています」「助けてください!」の文字。そして、朝比奈の悲痛な表情(トラックが真横を通過しているので、髪が激しくなびいている)である。われわれ観客は、朝比奈のセリフを聞くことができない。同じように、神名も聞くことはできない。だが、「困っています」「助けてください!」の文字と朝比奈の表情がカットバックする(交互に映される)ことで、われわれには彼女が言いたかったことがわかる。ムーリアンであることを隠している朝比奈の立場と、彼女が神名に助けを求めていることを、文字によって観客だけが把握する。観客にだけ与えられた特権性が、われわれを「ラーゼフォン 多元変奏曲」の世界に一気に引き込む。
無声映画のルールが、突如として混入することの効果
そして、“ドーレム”と呼ばれる人形のような形をしたムーリアンのロボットが街に出現する。朝比奈は、ドーレムが何であるかわからない。しかし、神名は「俺はお前を守る。お前を守りたい」と、ドーレムを倒すことで朝比奈を守ることができると確信している。
神名はラーゼフォンに乗り込んでドーレムと戦うが、そのダメージは部屋に残された朝比奈を激しく苦しめてしまう。
戦いのさなか、ビルの窓や駅の電光掲示板に、「コンニチハ」「ゲンキ」「コマッテイマス」「タスケテクダサイ」などの文字が表示される。人々は、その文字を気にとめない。神名も、文字に気がつかない。だが、われわれはすでに神名と朝比奈が夕食に出かけるシーンで、それらの文字を見ている。つまり、「コマッテイマス」「タスケテクダサイ」は朝比奈の心の声だと学習している。
ドーレムがラーゼフォンに痛めつけられると、停電した街に「イタイ」という光の文字が広がる。駅に「ホントノコトガイイタイ」と表示される。ビルの壁面に「アヤトクン」という文字が映ったところで、ようやく神名はハッとする。ドーレムが爆発すると、街の灯りが「サヨナラ」という文字を形づくり、文字はひとつずつ消えていく。
朝比奈には、ビルや掲示板に自分の気持ちを表示させる特殊能力でもあったのだろうか? だとしたら、それは彼女がムーリアンだからだろうか? 果たしてそのような、物語世界の中だけで通じる設定を理解しなければ、作品を味わうことはできないのだろうか?
想いを抱く相手に言葉を伝えられない少女の心の声が、最初は歩道に彫られた文字として、次にビルの壁面に映される……この不条理かつ美しい演出は、サイレント映画の字幕を思わせる。
サイレント映画に挿入される字幕は、登場人物の発話したセリフとして認識される。いっぽう、トーキー(発声映画)による芝居では、音声として聞きとれないセリフは登場人物によって認識されない。つまり、朝比奈が神名に想いを伝えようともがくシーンでは、サイレントとトーキー、約束事の異なる2つの表現が混在している。TOKYO JUPITERの内部に暮らす朝比奈、TOKYO JUPITERの外部で戦い続ける神名は、別々の世界を生きている。朝比奈の心の叫びが文字として画面に現れる(サイレント映画的演出が挿入される)ことで、われわれは彼女と神名の容赦のない断絶を、よりダイレクトに感じているのではないだろうか。
つまり、映像作品を見るときに知るべきなのは、物語世界内のルールではなく、演出や表現のルールなのではないだろうか。ハイコンテクストなSF設定がわからなくとも、普遍的な映像演出を手がかりにすれば、登場人物の関係や感情を十分に読みとることができるのだ。
(文/廣田恵介)
(C) 2003 BONES・出渕裕/Rahxephon movie project
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