ボンズ&フライングドッグ社長対談「キャロル&チューズデイ」はどのように生まれたのか? 渡辺信一郎作品が世界で愛される理由を語る

アニメ2019-09-28 12:00

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「キャロル&チューズデイ」は、ボンズ20周年・フライングドッグ10周年の記念作品にふさわしい、音楽アニメの新たな傑作となった。そんな本作の根幹を作り上げたのは総監督である渡辺信一郎、ボンズの南雅彦社長、フライングドッグの佐々木史朗社長という「カウボーイビバップ」以来、3度集ったトライアングルだ。名クリエイターのそばに名プロデューサーあり。渡辺氏とは四半世紀以上の間柄の2人の社長みずからがプロデュースする形で本作は生まれた。今回は特別にこの両社長に対談いただき、普段なかなか知ることができない仕事内容と、世界中にファンを持つクリエイター・渡辺信一郎の演出術を語ってもらった。

渡辺信一郎の演出の根源を両プロデューサーが分析する


── 「キャロル&チューズデイ」の企画の発端は、佐々木社長が「60歳になるまでにボンズと音楽アニメを作りたい」とおっしゃったことだったそうですが、「60歳」と区切られた理由は“引退”を見据えてのお考えだったのでしょうか?

佐々木史朗(以下、佐々木) そうですね。その発言をしたのは4,5年前のことでしたが、自分が決裁のハンコを押せる間にやっぱりボンズさんで1本音楽アニメを作りたいなと思って南さんにお話をしていたんです。「俺の死に花を咲かせてくれ」と(笑)。

南雅彦(以下、南) いや、それを聞いたのは「スペース☆ダンディ」(2014年)よりも前だから、もう6~7年前ですよ。ということは、53、4歳。それで「死に花」なんて早すぎでしょ(笑)。

── そこでボンズ制作で、とお考えになったのは?

佐々木 ボンズさんとはこれまでにも何作もご一緒させていただいて、クオリティへの信頼感があります。それに弊社としても音楽アニメは何作も手がけたことはありますが、ボンズさんとはこれまでなかったので一度作れたらうれしいなと思って。


── いっぽうで渡辺総監督から南社長へ「キャロル&チューズデイ」の原型となるような音楽アニメ企画の提案が以前からあったそうですが。

 渡辺総監督とは一緒に作品を作っていない間も交流があって、酒の席で「どういうものをアニメーションとして世に出していくべきか」みたいな、意外と真面目に話をしてるんですよ。しなかったりもするけど(笑)。そこでコメディからシリアスなものまで4,5本ぐらいアイデアを出してもらった中に「キャロル&チューズデイ」の原型になった音楽のストーリーがあったんです。それを聞いたときに、以前に佐々木さんからうかがっていた「死に花企画」のことを思い出して、お話をさせてもらったという形です。

── ボンズとしては本格的な音楽アニメは初めてになりますが、たとえばの話、渡辺さん以外の監督で音楽アニメを作ろうと考えたことはありましたか?

 ありませんね(即答)。彼自身が音楽を生かしてくディレクターという意味でもっともすぐれている監督だと思うので。少なくとも、自社オリジナル企画としてそれをやろうとは思いませんでしたね。「キャロル&チューズデイ」って、それまでの音楽アニメと違う点があって、それは何かというと、音楽を作る過程や音楽が生まれるところを描いたアニメなんです。これまでに、(できあがった)歌を歌う作品はあっても、こういったアニメは、自分たちの感覚としては生まれていないものだったので、新しい挑戦になるなと思い、この企画を動かしました。


── 企画までの経緯をまとめると、南社長のもとに佐々木社長、渡辺総監督のそれぞれから企画の原型になるお話があり、それを南社長が作品の企画にまとめていったということですね。

 そういうことになります。人様に対して「こんな企画ですよ」と見せられるまで総監督と2人でずっと動いていました。大きなお話の流れは決まっていたのですが、それをどんなスタッフで作るか、キャラクターデザインや脚本家を誰にするかといった話は2人で話し合っていました。

── その際に渡辺総監督に対して南社長からアドバイスをされたことは?

 「キャロル&チューズデイ」の絵柄については、その時代のキャッチーな造形というよりも、普遍的なデザインになることを優先しました。そこでいろいろなアニメのデザイナーやイラストレーター、マンガ家などの絵を集めて総監督に見せたんです。その中に窪之内英策先生の絵があり、彼がそれが気に入ったので2人で先生のところにうかがったという流れです。企画が実現したら実制作でも先生にキャラクター原案をお願いするという約束をして、まずは企画書の文章を読んでもらってそこに絵を添えていただき、それを持って佐々木社長のところへうかがったという経緯です。

── 今のお話で、いろいろな絵描きや絵の流行といったものを渡辺総監督に示すというのがプロデューサーらしいなと思いました。渡辺さんはご自身の作品に集中してあまり世間の流行り廃りをご覧にならない方ですか?

 たぶん、意図的にあまり見ないようにしているんじゃないかな。

佐々木 音楽の流行はきちんと追いかけているけど(笑)。


 サンライズで制作進行をやっていた頃から自分の演出論というか、自分の作りたいものがはっきりしている人ではありましたね。制作進行というのは制作のラインをコントロールするのが仕事なのですが、その中でも自分が演出になるということを周りに示していたという印象です。

── サンライズ時代、南さんと渡辺さんは先輩後輩の間柄で、後にお2人はそれぞれプロデューサーと演出家という立場になり作品を制作されました。クレジット上ですと、最初はTVスペシャルの「オバタリアン」(1990年)のうちの1話になりますが、やはり渡辺さんがシリーズの半分近くの話数に演出で入られた「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」(1991年)の頃のようすをうかがいたいと思います。

 どういう作品を作りたいか、演出論はすでに彼の中で確立していたと思います。小津(安二郎)が好きだとか言う困ったヤツでした(笑)。アニメであんなに細かい日常芝居をされたらかないませんって(笑)。実写の場合はひとりの役者に演技をつけていきますが、アニメではひとりのキャラクターに対していろいろなアニメーターが描くことになるので、同じ方法論ではできない。でも彼はそこでなんとかひとりのキャラクターを同じ人物として見せられるようにと、芝居付けにこだわっていました。

── 渡辺さんの師匠的な存在って誰になりますか?

 高橋良輔さんとか、神田武幸さん、今西隆志さんたちかな……。皆さんキャラクターを生かしていくことに非常にこだわりがある方たちですね。「0083」は、自分も28、9歳で彼も25、6歳かな。川元(利浩)や逢坂(浩司)も含め、監督以外はほとんど20代でした。OVAでTVシリーズとは違うモノを作るぞと気を吐いているプロダクションに対して向き合い、ガチンコで作っていたフィルムでした。

── いっぽう、佐々木社長と渡辺さんとの出会いは「マクロスプラス」(1994年)ですね。

佐々木 そうですね。最初は総監督の河森正治さんとグランドデザインのお話をしていまして、でき上がった曲をどう使うかとなったときに、彼の下に渡辺監督がいたという感じかな。

── そのうえでの渡辺さんの演出ぶりをどんな風にご覧になってましたか?

佐々木 音楽の使い方に関しては河森さんもけっこう独特なんですけど、渡辺さんはもっと独特なんですよ(笑)。これはどこかで話したことがあるけど「DJみたい」という表現がピッタリ来るかな。まずCDのコレクションがすごい。山ほど音楽を聴いていて、与えられたシチュエーションに一番ぴったりくる曲を選曲する能力がDJっぽいんですね。意外な曲をあえて持ってくるセンスとかも。「サムライチャンプルー」(2004年)で、主人公のムゲンが死にかけて幻覚を見るときに奄美民謡が流れるシーンがあるんですけど、これはまず音ありきで作ったシーン演出じゃないかなと思って、本人に聞いてみたらやっぱりそうだった。そういう風に、キーになるシーンは音楽込みで彼の頭の中にあって、それを繋げていっている。それは「カウボーイビバップ」のときも思いました。菅野(よう子)さんから、頼んでもいない曲が次々上がってくるんです(笑)。それらを「この曲はここにハメよう、ここに使おう」と、自分の頭の中のフォルダに溜めていっている感じですね。あと、曲の使い方がミュージッククリップの監督っぽいところもありますね。音楽シーンの中にその世界の普通の生活感が見えるところを点描的に挿れていくところとかスゴくうまいんです。


── アニメ業界ではほかにあまりこういうタイプの演出家はいらっしゃいませんか。

 そうですね。音楽だけじゃなくて話数も入れ替えたりするんです。「ビバップ」も「ダンディ」も、全体のシリーズ構成というものを最初に立てるわけですが、それをシャッフルしていく。大きな流れと1話1話の流れを組み合わせていくという音楽的な作り方も彼の中にあるんじゃないかな。

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