「もののけ姫」のスケール感は、“見えないはずのものを目撃する”主人公の視界から生まれる。【懐かしアニメ回顧録第40回】
2018年3月21日(水)より、三鷹の森ジブリ美術館で宮崎駿監督の最新作「毛虫のボロ」が上映される。「毛虫のボロ」の企画は古く、1997年公開の「もののけ姫」と同時期に提出されていた。そこでこの機会に、「もののけ姫」という作品を振り返ってみよう。
主人公のアシタカは、自分の住む小さな村を“タタリ神”から守ろうとして、右手に呪いのアザを受けてしまう。村からの追放を言い渡されたアシタカは、ジコ坊という謎めいた僧侶、もののけ姫と呼ばれる人間の娘・サン、生と死をつかさどる森の神・シシ神と出会う。
「曇りのない眼で物事を見定めるなら、あるいはその呪いを断つ道が見つかるかもしれん」。村の巫女・ヒイ様が、別れ際にアシタカに告げる言葉だ。ヒイ様の言葉どおり、「もののけ姫」はアシタカが次々と人物や物事と遭遇していくことで展開していく映画だ。
別々のシーンで同時になびく、エボシ御前のマントとアシタカの髪
しかし、アシタカが目撃したように見えて、実は見ていないシーンがいくつかある。
■具体例その1
タタラ場についたアシタカは酒の席に招かれ、山の主である“ナゴの守”の存在を知る。そのシーンで、以下のようなカットがインサートされる。
(1)山の木を切り倒したタタラ師たちを、襲うナゴの守。
(2)火のついた矢を放つ人々。
(3)矢をものともせずに振り払うナゴの守。
(4)イノシシの群れを率いて、人々の陣地に突っ込むナゴの守。
(ここでシーンは再び酒の席に戻るが、「そこへエボシ様が石火矢衆を連れて現われたってわけさ」という男のセリフにより、再びイメージシーンが始まる)
(5)手に石火矢(銃)を持った男たちを率いて、勇壮に前進してくるエボシ御前。
(6)石火矢を撃つ男たち。
(7)火炎放射器のような武器で、森を燃やす男たち。
(8)燃える森の中、悲鳴をあげて逃走するナゴの守。
(9)炎に焼かれる森を見下ろしているエボシ御前と男たち。
ここでイメージシーンは終わり、沈痛な面持ちをしたアシタカのアップへとオーバーラップする。注意してほしいのは、(9)のカットでエボシ御前のマントが風になびいていること。続くアシタカのアップでも、風がないのにアシタカの髪がなびいている。風のなびきと髪のなびきをオーバーラップさせることで、(1)~(9)のイメージシーンとアシタカの間に有機的な関連が生まれる。
アシタカはタタリ神に呪われた右手を押さえ、「そのイノシシのことを考えていた。いずくで果てたか、さぞ恨みは深かろう」とつぶやく。彼はナゴの守こそがタタリ神の正体であり、ナゴの守を痛めつけたのはタタラ場を統べるエボシ御前だと気づく。
だが、上記のイメージシーンは村の者たちの説明をアシタカが想像したにしては、描写が細かすぎる。にも関わらず、あたかもアシタカの回想のような演出がなされている。「もののけ姫」のあちこちで、「アシタカは見えないはずの物事」を見ているのである。
さらに例をあげてみよう。
なぜ、見えないはずのものをアシタカは見ることができるのか?
■具体例その2
夜のタタラ場、旅立つ決心をかためたアシタカを、村の女たちが引き止めている。「ありがとう。どうしても会わなければならない者がいるんです」と、アシタカは女たちに話す。直後、山犬に乗って画面中央に向けて突進するサンの絵がインサートされる。ハッとしたアシタカは、画面の外に目をやりながら「来る!」と低くうなる。
この時点で、サンはタタラ場の外にいる。女たちには見えないサンの姿を、アシタカだけが「見て」いる。
■具体例その3
傷の癒えたアシタカだが、昨夜まで近くにいたはずのサンと母親のモロ、子供の山犬たちは人間との戦いにおもむき、その場にいない。
ひとりになったアシタカは、雨が降ったり日が照ったりする草原をヤックルに乗って歩いている。ふと、爆発音に気づいてアシタカは振り向く。
(1)爆発で吹き飛ばされるイノシシたち。
(2)沈痛な面持ちのアシタカ、アップ。
(3)爆発する地面。
(4)炎と土の飛び散る中、槍を構えて走るサンのアップ。
(5)再びアシタカのアップ。ふと銃声に気がついて別の方角を向く。
その視線の先には、タタラ場がある。上記のカットのうち、(1)、(3)、(4)は戦場のど真ん中なので、静かな草原にいるアシタカが直接見ているわけではない。アシタカの想像だろう。しかし、(2)と(5)のアシタカのアップをインサートすることで、まるでアシタカが戦場を目撃しているかのような効果が生まれる。
■具体例その4
アシタカがようやく戦場の近くに駆けつけると、タタラ場の人々の死骸が、累々と横たわっている。タタラ場の男は「唐傘のやつら、俺たちをエサにイノシシをおびき寄せ、地面ごと吹き飛ばしやがったんでさ。上からも地雷火を投げやがった」と、事態の凄惨さをアシタカに説明する。そのカットからオーバーラップして、イメージシーンが始まる。
(1)猛然と疾走するイノシシたち。
(2)その隊列に加わっている山犬に乗ったサン。
(3)岩山へ向かうイノシシの群れ。しかし、爆発が起きて吹き飛ぶ。
(4)爆発で吹き飛ばされるイノシシたち。
(5)爆発する地面。
(6)突き進むイノシシ、山犬、サン。
(7)岩山にいる唐傘連を突き落として進むイノシシたち。
(8)岩山の頂上、ずらりと並んだ地雷火。
(9)唐傘連、地雷火を岩山から蹴り落とす。
(10)激しい爆発で、イノシシたちが吹き飛ばされる。
(11)イノシシたちの死骸が、人々のうえに落ちてくる。
(12)画面左を見ているエボシ御前、部下のゴンザ。
(13)画面右に向かって突き進むサン。
オーバーラップして、アシタカのアップに戻る。上記カットのうち、(4)(爆発で吹き飛ばされるイノシシたち)は具体例その3の(1)、(5)(爆発する地面)は具体例その3の(3)と同じ絵である。アシタカの想像が、このシーンではタタラ場の男の目撃した事実として語り直されているのだ。しかし、いずれにしても、アシタカが直接目撃したわけではない。
ある人物のアップの後、何の関係もない被写体(たとえば料理の盛られた皿)を見せると、観客は無意識に人物の感情(食欲や悲しみなど)を想起してしまう(1922年に行われた実験で、クレショフ効果と呼ぶ)。クレショフ効果はもっとも基本的な映画の話術だが、「もののけ姫」ではアシタカのイメージした絵、決して見えないはずの絵(サンが山犬に乗って真正面に突進してくる姿をどうやって目撃することができるだろうか?)を強引につなぐことにより、起こっている事態のスケール感と、とりかえしのつかない悲惨さを表現している。
「曇りのない眼で物事を見定める」、それがアシタカに課せられた生き方だったはずだ。しかし、アシタカは重要な出来事のほとんどを肉眼では見ていない。そのアシタカの無力感は、「見えないはずのものを見ている」ように感じさせる大胆なカットワークから生じているのではないだろうか。
(文/廣田恵介)
(C) 1997 Studio Ghibli・ND
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